アンサンブル横河のこれまで

アンサンブル横河のルーツ・・・昔むかし                                   

                          若狭 裕

 

アンサンブル横河のルーツといえるかどうかわかりませんが、昔話をご紹介します。

もう30年以上前にさかのぼりますが、社内の同好の仲間が集まり、持ち回りでメンバーの家にお邪魔して、四重奏などを楽しんでおりました。写真は山本さん(現在OB)宅でフルート四重奏をしたときのものです。会社でも、昼休みに実験室の片隅で合奏を楽しんだりしておりました。人前で演奏をしたのは、1970年頃、社内の「ロッジ」(現在の旧本館の場所にあった来客用の食堂)で、サロン風コンサートを開いたのが始まりであったと思います。聴きに来ていただいたお礼に、お茶とケーキをお出ししましたが、演奏よりそちらの方が「うまかった」と、お褒めの言葉をいただいたことを覚えています。当時から横河電機には、演奏以外にも音楽に造詣の深い多才な方々がおられました。バイオリンやチェロをお作りになった神野さん(現在OB)、仕事でミュージック・レコーダ(演奏から楽譜を自動作成する)の開発に取り組まれた鈴木さん(現ファゴット奏者)。神野さん作の弦楽器だけで弦楽四重奏をしたこともありました。社内の無響室で演奏し、鈴木さんの楽譜生成フィールドテストのお手伝いをしたこともありました。

その後、メンバーの転勤や業務多忙のため、集まって練習することもままならなくなり時が経ってしまいました。なんとかしなければと言うことで、三木団長のフルートの先生である福原先生にご指導を仰ぎ、有志を募って少人数ながら、199710月 社内食堂マルシェのオープン記念コンサートを開きました。これがきっかけで、社内での知名度も上がり、実力派のメンバーも加わって仲間が増え、社内活動も充実してきました。こうした活動を通して、「オーケストラを作ろう」という機運が高まり、夢の実現に向けて準備が始まりました。記念すべき第一回の演奏会は1999220日、三鷹市芸術文化センターで開かれました。横河電機グループの社員、家族、OBを中心としたオーケストラが誕生し初めての演奏会ということで、読売新聞や朝日新聞にも紹介されました。福原先生、田久保先生、高橋先生と、よき指導者に恵まれ、また地域のアマチュアオケの方々のご支援も得て、そして演奏会にご来場いただいている多くの方々のご声援に励まされて、アンサンブル横河は本格的なシンフォニーを演奏できるまでに成長してまいりました。

はじめはひとしずくの水滴でも、それが集まって流れをつくり、やがて大河となって海にそそぐ・・・、何かスメタナの「モルダウ」の調べが聞こえてきましたが、アンサンブル横河はモルダウ川ならぬ横河の大きな流れとして、着実にその水量の豊かさが増して来ている事を実感します。アンサンブル横河は、少しでも良い音を出したい、良い音楽を体験したい、そんな共通の願いをもったメンバーの集団ですが、同時に音楽を通して広がる人の輪を大切にする集団でありたいと願っています。

 

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